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継体天皇・1500年前「危機」脱出の森・第25代武烈天皇の皇位を継いだ第26代継体天皇は第15代応神天皇の5世孫・「男系維持の伝統」は圧倒的に美しい・まだまだ皇統絶やさぬ道はある

【大阪特派員】皿木喜久
2007/01/05, 産経新聞



1500年前「危機」脱出の森


 京都を流れてきた木津川、宇治川、桂川の三川が大阪府に入るあたりで合流し淀川と名を変える。その左岸一帯を樟葉(くずは)という。楠葉とも書く。行政区で言えば大阪府枚方市の最北部、すぐ隣は京都府八幡市である。


 ちょうど1500年前の507年2月4日、この樟葉の地でひとりの天皇が即位した。第26代継体天皇である。


 即位の礼を行い、その後5年間政務を執ったという「樟葉宮」があったのは、京阪樟葉駅の北東1・5キロ、現在の交野(かたの)天神社の森の中とされる。貴船神社という小さな末社があるあたりだ。

 「物証」があるわけではない。だが戦後になって伝承をもとに大阪府が「史跡」に指定している。そのことを記した石碑が2本、ぽつんと建っているだけだ。

 そんな静かさと対照的に「日本書紀」が伝える継体天皇即位に関するドラマは劇的である。



 前年の暮れに崩御した25代武烈天皇には皇位を継ぐべき子供も兄弟もなかった。必死で有資格者を探す政権の実力者、大伴金村はまず、14代仲哀天皇の5代目の子孫という倭彦王(やまとひこのおおきみ)に目をつける。しかし丹波まで迎えに行った軍勢に恐れをなし、姿を隠してしまう。


 次に擁立をはかったのが、15代応神天皇の5世の孫で、越前(福井県)の王、男大迹王(おほどのおおきみ)だった。面会すると、泰然自若とした姿はすでに天皇の品格を備えている。

 それでも王は金村らの即位要請に疑念を抱き、辞退する。河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)という男がひそかに説得、ようやく即位にこぎつけた。皇室にとって最初にして最大の危機を切り抜けたのだ。



 この継体天皇即位伝承については近代になって多くの論議がなされてきた。応神天皇の5世の孫といっても日本書紀、古事記とも詳しい系図は示していない。しかも樟葉は、それまでの政権の中枢地だった大和や河内から遠く離れていて、天皇が大和に入るまで20年もかかっている。

 このことから、継体天皇に始まる王朝は、それまでの王朝とは関係のない勢力が、力で簒奪(さんだつ)したものだとの見方もある。

 これに対し継体天皇に詳しい古代史家、水谷千秋氏は、著書『謎の大王 継体天皇』の中で「応神五世孫なる出自が事実かどうかは、究極には不可知に属する問題である」とした上でこう述べる。



 「この出自が継体によって主張され、それが当時の支配者層に説得力をもって受け容れられたことまでは認めてよい」

 それが、最大公約数的な見方だろう。大事なことは、継体擁立によって皇室ばかりでなく日本の国が危機を脱したということだ。



   ◇

 即位21年後に、九州で「磐井の乱」が起きたように国内情勢は揺れていた。隣の朝鮮半島でも神功皇后以来の日本の影響力は低下しつつあった。いつまでも天皇が空位であれば国は分裂状態となり、そのスキに朝鮮勢力に支配される恐れもあった。

 「だから継体天皇が登場して統一が保たれたということは見直されていいんです」。枚方市の樟葉宮歴史懇話会副会長のジャーナリスト、高橋徹さん(68)は、そう目を輝かせる。



 「継体以降だけでも1500年脈々と流れが続いている。他の国の王室には絶対にない、大変なことなんです」とも言う。


 それほど継体天皇と樟葉宮の歴史的意味は大きいのだが、地元ではさほど、注目されてきたとはいえない。伝承のみで宮跡を示す遺物が何も出土していない。それに枚方市は大阪のベッドタウンとして発展した町である。地元の歴史に関心を寄せる住民が少なかったのも仕方なかった。

 樟葉宮跡への道しるべひとつもなく、忘れ去られたような時代が続いた。それが即位1500年が近づくにつれ、ようやく熱くなってきた。「歴史を学ぶことで町おこしを」という高橋さんらによって懇話会が設立された。一昨年秋には記念講演に600人の市民が集まった。懇話会の中に「継体サロン」もでき、女性中心に古代史を楽しんでいる。

 枚方市も、懇話会などと共同で「樟葉宮1500年記念事業開催実行委員会」を設立した。ちょうど1500年にあたる今年2月4日には市民会館で記念歴史フォーラムを開くことになった。上田正昭京大名誉教授が基調講演した後、シンポジウムが開かれる。

 中司宏市長も「故郷の歴史に触れることで自分の町への愛着を感じていただきたい」と話す。



 新年早々、古代日本の危機を救った樟葉の森に1500年ぶりの光が当たる。男系・女系論争で国民の間に皇統への関心が高まっている中、国の成り立ちを考えるよすがとなりそうな気がする。
(さらき・よしひさ)







【正論】衆議院議員・弁護士 稲田朋美
「男系維持の伝統」は圧倒的に美しい
2006/01/07, 産経新聞
http://www.ncn-t.net/kunistok/18.1.8inadatomomi.htm


【正論】同志社大学フェロー大阪大学名誉教授 加地伸行
2006/01/11, 産経新聞
http://www.vanyamaoka.com/senryaku/index228.html
■まだまだ皇統絶やさぬ道はある
■落ち着いて顧みたい先人の知恵

≪改制あれど再改制は可能≫

(前略)

 その際、先人の次のような知恵がよく引かれる。すなわち、江戸中期、新井白石が男系皇位継承に備えるため、閑院(かんいん)宮家を創設していたので、江戸後期に男子がなくて皇統断絶の危機が訪れたとき、閑院宮家から祐宮(さちのみや)が天皇家を継ぎ百十九代天皇(光格(こうかく)天皇)に即位され、皇統は絶えず今日に至っている、と。だから、旧宮家の復活など男系維持のための諸般の方策が必要であり、有識者会議の報告書は拙速であるとする、改制(「改正」ではない)への批判意見が出ている。

(略)

≪興味深い中井竹山の献言≫

 さて、先人は新井白石だけではない。たとえば江戸後期、大阪の漢学塾であった懐徳(かいとく)堂の学主、中井竹山がいる。
 前記の光格天皇が即位されて十年目に当たる天明八年(一七八八年)、老中(首相に相当)の松平定信が来阪し、中井竹山を召して政見を聴いた。

(略)

「危言」は「直言・正しい主張」という『論語』からきたことば)の内容は多方面にわたっているが、「皇子皇女ノ事」(巻之一)は主に皇統問題を論じている。
 おそらく光格天皇のできごとが念頭にあったと思われるが、当時、四宮家はあるものの、すでに一宮家は無主となっており、皇統断絶の可能性を竹山は憂えている。「尊貴ノ御身(オンミ)ニハ字育(ジイク)(子育て)ノ広カラヌコト多キモノナリ」として、どのように皇嗣を確保するかについて、当時の実情に即して約四千三百字を費やして論じている。
 その内、今回の男系問題に関連する竹山の意見はこうである。臣籍(しんせき)降下(皇族から離脱して臣となる)した人々を旧皇族と称するが、新宮家を多く立て(代変わりすると予算を徐々に減額)、「養子継続ノコトハ、互ニ新旧皇族ノ内ニ限リ」と述べ、続けて「他族ニハ禁(キン)アルベシ」と言う。これは重要な意見である。仮に養子(男子)を入れる場合、その人は皇族の範囲内の者に限るとし、他族の血は入れないとする。
 これを参考にすれば、現宮家の養子を認めうるし、また天皇家にも適用すれば、仮に女性天皇が誕生したとしても、その配偶者は必ず天皇家の血筋につながる男系男子に限ることによって天皇家の男系は維持できるではないか。

 ≪拙速感拭えぬ有識者会議≫

 天皇家の血筋につながる男系男子-それを光格天皇以降(以前でもいい)とするならば、旧宮家を含め相当の人数となるであろう。政府の力量をもってすれば、調査可能であり、名簿を作ることができる。その人々は今は国民であるから堅実に支持されよう。
 もちろん、現皇族は可能な限り残し、女性当主の新宮家も多く立て、その配偶者は同じく右の名簿から選ぶべきである。男系のそのことを皇室典範に明記するのが最上であるが、無理であれば、皇室のことを議す皇室会議における「必ず守るべき慣行」という申し合わせ最重要事項として存続せしめる形でもよい。
(以下略)






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