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村上春樹を不買運動しよう!「騎士団長殺し」で南京虐殺を宣伝、ステマ!繰り返す反日言動を許すな
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村上春樹の『騎士団長殺し』は南京大虐殺をステマ(宣伝)する反日小説!不買運動をしよう!
村上春樹の『騎士団長殺し』は南京大虐殺をステマ(宣伝)する反日小説!不買運動をしよう!
村上春樹の『騎士団長殺し』南京大虐殺をステマ(宣伝)する反日小説!
不買運動をしよう!


https://twitter.com/BUNKA_taboo/status/834978635316518912
実話BUNKAタブー編集部
‏@BUNKA_taboo
村上春樹の『騎士団長殺し』には「南京大虐殺は絶対にあった!」と書いてあるので、ネトウヨにはオススメできない小説です。
村上春樹の『騎士団長殺し』には「南京大虐殺は絶対にあった!」と書いてあるので、ネトウヨにはオススメできない小説です。
2017年2月24日 13:09


https://twitter.com/hyakutanaoki/status/835382251378503680
百田尚樹
‏@hyakutanaoki
村上春樹氏の新刊『騎士団長殺し』の中に、「日本軍は南京で大虐殺をした」という文章があるらしい。これでまた彼の本は中国でベストセラーになるね。
中国は日本の誇る大作家も「南京大虐殺」を認めているということを世界に広めるためにも、村上氏にノーベル賞を取らせようと応援するかもしれない。

2017年2月25日 15:53



村上春樹を不買運動しよう!「騎士団長殺し」で南京虐殺を宣伝、ステマ!繰り返す反日言動を許すな

村上春樹著「騎士団長殺し」より一部抜粋
その年の十二月に何があったか?
「南京入城」と私は言った。
「そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」
もちろん私にはそんなことはわからない



>そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。


「戦闘に関連した殺人」って、普通は戦争の戦闘で敵兵を殺すことをいちいち「殺人」などとは呼ばない。





>日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。


ふざけんな!

いい加減なことを言ってんじゃないよ!

「降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。」というのは、明らかに事実と異なり、悪質な捏造だ!

まず、「市民の大方を殺害してしまった」という事実は全くない!

市民(一般人)の虐殺についてはゼロで間違いない!(後述)

次に、「降伏した兵隊の大方を殺害してしまった」というのも真実とは異なる。

確かに南京では降伏した支那軍将兵の数が多過ぎたこともあり、降伏した大量の支那兵が暴動を起こした際に合法的に殺害した「幕府山事件」はあった!

しかし、幕府山事件は、降伏した支那兵どもが暴れ出したために、日本軍はやむを得ず殺害したわけであり、日本軍の正当防衛、あるいは戦闘再開(延長)となる合法的な出来事だった。

したがって、「降伏した支那兵の不法殺害」についても無かったに等しい。

敵兵の不法殺害については、あったとしても最大で数百人程度であり、村上春樹の小説の中の「降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。」という台詞は事実とあまりにもかけ離れている!

南京戦に参加した畝本正己は、資料、証言を更に整理し検討し、【昭和63年=1988年】に発行した『南京戦史』(偕行社)で、撃滅・処断推定約1万6千人、うち不法殺害の可能性があるのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみとの結論を出している。

つまり、「捕虜の不法殺害」の犠牲者は、0人~800人というのが結論だ。

「捕虜の不法殺害」について議論となるのは概ね「幕府山事件」のことだが、この「幕府山事件」というのは上述したとおり捕虜が暴動を起こしたことに対する鎮圧だから「捕虜の不法殺害」には該当しない。

「幕府山事件」については『「南京大虐殺」はWGIPのメインテーマです』と題された次のサイトの中で非常に詳しく説明されている。

ごく一部だけ抜粋し、以下に掲載する。

http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Bakufu.html
幕府山事件
宣誓に依らざる捕虜解放に関する誤解


1.『戦史叢書』の公式見解
幕府山事件と呼ばれる捕虜暴動鎮圧事件は、反日宣伝勢力から違法な捕虜殺害、捕虜虐殺の冤罪を浴びせられ、「南京大虐殺」の象徴として採り上げられることも多い事件です。
捕虜殺害を強調するのは、市民不法殺害の主張を維持できなくなっている反日勢力の悪足掻き、と言えないこともありませんが、やはり、反論すべき点は反論しておくべきでしょう。
まず、幕府山事件とはどのようなものであったのかについて、公式の戦史である戦史叢書の見解を引用します。

――――――――――
・・・・第十三師団において多数の捕虜が虐殺したと伝えられているが、これは15日、山田旅団が幕府山砲台付近で1万4千余を捕虜としたが、非戦闘員を釈放し、約8千余を収容した。ところが、その夜、半数が逃亡した。警戒兵力、給養不足のため捕虜の処置に困った旅団長が、十七日夜、揚子江対岸に釈放しようとして江岸に移動させたところ、捕虜の間にパニックが起こり、警戒兵を襲ってきたため、危険にさらされた日本兵はこれに射撃を加えた。これにより捕虜約1,000名が射殺され、他は逃亡し、日本軍も将校以下7名が戦死した。・・・・
(戦史叢書『支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』)
――――――――――


2.『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』の日記と自称する物
この様に戦史の公式見解においては、「幕府山事件」なるものは捕虜暴動に対する自衛発砲と明言されています。
これに対する反日宣伝勢力の拠り所は、独自に参戦者から収集したと称する「日記」「メモ」です。
では、小野賢二・藤原彰・本多勝一編『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』より、彼らの収集した資料の中で幕府山事件がどのように「証言」されているか見てみましょう。


(中略)

山田支隊が意図したのは、労役に使用するという派遣軍司令部の意向に背いた、宣誓に依らざる解放です。
派遣軍司令部の意向に背くものであったのですから、秘密裏に行わなければなりませんでした。
宣誓に依らざる解放だったが故に、圧倒的多人数の捕虜の反撃を警戒して重武装が必要でした。
山田支隊の捕虜解放が宣誓に依らざる解放にならざるを得なかったということが理解できれば、重武装の必要性は最初から論点にもなりません。
解放目的の連行・自衛発砲説には、些かの破綻もありません。
破綻があるとすれば、単に銃殺したという証言を計画的殺害に結び付ける違法殺害説の方です。






>正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。


「おびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺された」とは、いったい何のことを言っているのか?

流れ弾や誤爆によって死んでしまった市民のことを言っているのか?

しかし、流れ弾や誤爆による市民の死亡は如何なる戦争・戦闘にも付き物であるが、むしろ市民を安全区に集めた南京戦では非常に少なかった。

また、一部に「日本軍は一般市民と便衣兵とを区別でできず、一般市民を便衣兵と間違えて殺害した」などと主張する連中もいるが、一般市民と便衣兵を間違えることはなかった!


安全区内の便衣兵(民間人を装った支那兵)摘出作業は、第十六師団によって慎重かつ正確に行われた。

日本軍は便衣兵摘出の際、体つきの他、坊主頭鉄帽子の日焼け跡手の銃ダコ下着(兵隊服)市民の証言などをも確認したので、便衣兵と間違えて一般市民を処刑したことはなかった。

上の写真は5000-6000人ということですから、規模的に見て12月16日に歩兵第七連隊が行った便衣兵(私服で偽装潜伏中の中国兵)摘出の光景と考えられます。
兵民分離査問に立会した内田義直氏(陸軍省通訳官・第十六師団警備司令部配属)は、その実態を次のように述べている。
「中国人の言葉には地方訛りがある。南京を守備した中国軍は、広東、広西、湖南の兵隊で南方訛りであって、言葉で兵隊と市民の区別は難しかった。しかし、体つきを見れば兵隊と一般市民とは、直ぐ区別がつく。自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、一般市民を狩り立てることはなかった。上着だけが民間服で、下着が兵隊服のものが多く、すぐ見分けがついた。詳細記事


ただ、上記のような日本軍による正確な便衣兵摘出作業などについては良く知られておらず、一般男性が処刑されたと勘違いして見ていた人も少なからず居たようだ。

なお、便衣兵(ゲリラ)を発見したら処刑するのは、古今東西の原則(もちろん合法)だ。

戦場においてゲリラ=便衣兵(軍服ではない民間人の服を着た卑怯な兵士)から狙われるほど恐ろしいものはない。
制圧したと思って村や町に入ると、建物の陰から鉄砲の弾が飛んでくる。
敵兵を探しても、いるのは善良そうな顔をした人々だけ…。
あるいは、少年少女だと思って油断していると突然懐から拳銃が出てきて撃ち殺されたりする。
ゲリラ戦・便衣隊戦術は民間人を戦闘に巻き込む。

便衣兵と判明すれば殺すしかない。
便衣兵を殺さなければ、その後も支那軍は癖になって便衣隊戦術をエスカレートさせ、日本軍や一般市民の被害は拡大する一方だ。


支那軍に多数の便衣兵が存在したにもかかわらず、それでも日本軍は南京だけでも約1万人の支那軍将兵を捕虜として保護し、最後まで生存させた!

▼日本軍が保護した結果、支那軍の生存捕虜が約1万人だった資料▼

1937年12月14日

 これらを総合すると堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約7,200名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容したことはあきらかである。
『南京戦史』P324


歩兵第38連隊戦闘詳報第12号附表備考
『1、俘虜7,200名ハ第10中隊堯化門附近ヲ守備スヘキ命ヲ受ケ同地ニ在リシガ、14日午前8時30分頃数千名ノ敵白旗ヲ掲ゲテ前進シ来リ午後1時武装ヲ解除シ南京ニ護送セシモノヲ示ス』

(1、俘虜7200名は、第10中隊堯化門付近を守備すべき命をうけ同地にありしが、14日午前8時30分頃数千名の敵、白旗を掲げて前進し来り午後一時武装を解除し南京に護送せし者を示す。)
第16師団
歩兵38連隊戦闘詳報 附表第3 戦闘詳報12号附表


『南京戦史資料集』P594


1937年12月29日

「捕虜1万5百」
『朝日新聞』昭和12年12月29日


1937年12月~1938年1月

 なお、城内に収容された捕虜のその後については、『南京戦史』第六章第六節「南京付近に収容した捕虜の状況」に詳しいが、最初一万人程度の捕虜が収容され、翌昭和十三年一月六日に「三千六百七十人もいるそうだ」と第十六師団経理部の小原立一少尉の日記に記されている。約半数が昭和十二年末ころ上海に送られたものと見られ、残りが汪兆銘の南京政府軍に編入されたという事実はよく知られている。
『本当はこうだった南京事件』P387 板倉由明著 日本図書刊行会



一方、支那軍は、支那事変のあった8年間で、投降したり負傷したりして捕まえた日本兵を捕虜として保護したことは全くなかった。

支那軍は、「反戦兵士」(違法)にする極めて少数の日本兵を除き、1人残らず日本軍将兵を惨殺した。

まさに「皆殺し」だった。

日本軍が南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜として保護したのとは、対照的だった。




そして、日本軍が南京で一般市民を不法に殺害した事例は、1件もなかった!

●南京大虐殺完全否定のまとめ

日本軍による南京市民虐殺はなかった(0人)。

まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領した上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。

次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。

陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。
日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていたが、「虐殺」事件は南京に居た憲兵隊などに通報されたことも全くなかった。

また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。

更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。

最後に、戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

よって、日本軍による南京虐殺事件は0件だった。


以上のとおり「南京大虐殺」については、事実関係として完全に虚構(捏造)であり、日本軍によって虐殺された南京市民はゼロ(0人)だった。




今回、村上春樹は、小説の登場人物の台詞として「とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。」と言わせているが、これは間違いなく「南京大虐殺は事実だ」という嘘の主張をステマ(宣伝)している!

村上春樹は、これまでにも何度も何度も繰り返し、日本の歴史認識や領土の主張を批判し、特ア(支那や南北朝鮮)を利する言動を行ってきた。

今回の「騎士団長殺し」では、小説の中で南京大虐殺を肯定するステマを行っており、日本国民はこれ以上村上春樹を野放しにしておいてはいけない!

もう村上春樹の不買運動を大々的に行わなければいけない時期に来ている!


▼売国奴!村上春樹の売国言動▼

平成24年(2012年)9月28日付の朝日新聞朝刊に、尖閣諸島・竹島をめぐる領土問題について、「領土問題の国民感情は安酒の酔いに似ている。ヒトラーの結末と同じになる」と日本の政治家や論客などを批判した長文のエッセーを寄せた。
そのエッセーは、尖閣諸島と竹島の問題は、支那と韓国が一方的に悪いにもかかわらず、何の非もない日本にのみ抑制を強いる酷く偏った内容だった。(関連記事



平成26年(2014年)11月3日、毎日新聞とのインタビューで「(日本が起こした戦争に)中国人も韓国人も怒っているが、日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思う」と述べ、日本国民を批判した。(関連記事


平成27年(2015年)4月17日付の東京新聞とのインタビューで「日本は周辺国が納得するまで謝るという歴史意識を持たなければならない」、「謝罪は恥ずかしいことじゃない。日本人は韓国の国力が上がって、自信を喪失したから率直に受け入れてないだけ」、「他国に侵略したという大筋は事実なんだから。」などと述べた。(関連記事


平成29年(2017年)2月発売の小説『騎士団長殺し』の中で、次の台詞を挿入し、南京大虐殺をステマ(宣伝)した。
「そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」







●関連記事
ノーベル文学賞は支那政府批判の支那人が受賞!領土問題で日本の右傾化を非難した村上春樹は落選
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村上春樹「日本人は戦争加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向は強くなっている」
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村上春樹「日本は周辺国が納得するまで謝るべき」「侵略した大筋は事実」・安倍談話に謝罪を促す
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5800.html
(一部再掲載)

村上春樹はもしかするとノーベル文学賞がほしくて支那人や韓国人に媚びているのかもしれないが、だとしたらその発想も完全に間違っている。

ノーベル文学賞などは、支那を批判し、支那と戦う者に与えられる傾向が非常に強い。

「ノーベル文学賞」を選考するスウェーデン・アカデミーも、「ノーベル平和賞」を選考するノルウェー・ノーベル委員会も、支那を批判し、支那と戦っている者を選んでいるのが現実だ。


支那人のノーベル賞受賞は、まず2000年に高行健が文学賞を受賞したが、支那政府に批判的だったため支那政府の弾圧を逃れてフランスへ移り、国籍を変更していた。

次に、2010年に、民主活動家の劉暁波(国家政権転覆扇動罪で服役中)が平和賞を受賞した。

そして、2012年には、支那政府の政策を批判する莫言(ばく げん、モー・イエン)が文学賞を受賞した。
ノーベル文学賞を住所した支那人の莫言
2012年にノーベル文学賞を受賞した支那人の莫言

支那人(成人まで中華人民共和国国籍者)は2012年までに3人(受賞時点で支那国籍では2人)がノーベル賞を受賞したが、興味深いのは3人とも全員そろって支那政府を批判していたということだ。

スウェーデン・アカデミーのペーテル・エングルンド事務局長は、2012年に文学賞を受賞した莫言と2010年にノーベル平和賞を受賞した民主活動家・劉暁波との対比について、「劉暁波氏は反体制派だが、莫言氏は支那の体制内で体制(支那共産党)を批判している」との見方を示した。

報道陣の質問に答えるスウェーデン・アカデミーのペーテル・エングルンド事務局長。中国系テレビが終始マイクを向けていた=ストックホルム、伊東和貴撮影
報道陣の質問に答えるスウェーデン・アカデミーのペーテル・エングルンド事務局長。支那系テレビが終始マイクを向けていた=ストックホルム

いずれにせよ、ノーベル文学賞とノーベル平和賞を受賞した支那人3人は全員そろって支那政府を批判している。

そして、チベット人のダライ・ラマ14世もノーベル平和賞を受賞していることを考えると、どうやら支那政府に批判的な人物がノーベル賞を受賞する傾向が強いことは間違いない

一方、毎年のようにノーベル文学賞の最有力候補と予想されていながら落選を繰り返している村上春樹は、極悪犯罪国家の支那や韓国を非難せず、正論を主張する日本ばかり批判している。

村上春樹
一方的に悪い支那や韓国ではなく、日本の右傾化を非難する村上春樹

こうして見ると、支那政府を批判する支那人やチベット人などが次々とノーベル文学賞やノーベル賞平和賞を受賞するのとは対照的に、日本人のくせに支那を批判せずに何故か日本を非難している村上春樹がノーベル賞を逃し続けていることは偶然ではない。

このままだと、ノーベル文学賞は、ますます村上春樹から遠退いていく。

村上春樹は、頭が悪過ぎる。




左:「全部、言っちゃうね。 ~本名・清水富美加、今日、出家しまする。~」千眼 美子著(2017/2/28)
中:「トランプ革命で甦る日本」西村幸祐&ケント・ギルバート著(2017/1/19)
右:『米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番』ケント・ギルバート著(2016/12/16)


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テーマ:村上春樹 - ジャンル:小説・文学

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