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沖縄集団自決で検定意見撤回求めた県民大会に11万人参加・反日捏造主義者たちと反日マスコミが執拗に煽って再び問題化・秦郁彦の【正論】報道は冷静な検証の姿勢忘れずに


沖縄集団自決問題


<沖縄>集団自決で検定意見撤回求め県民大会 11万人参加
9月29日20時22分配信 毎日新聞

(一部抜粋)

 太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた住民の集団自決を巡る文部科学省の教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民大会が29日、宜野湾市の宜野湾海浜公園であり、約11万人(主催者発表)が参加した。
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 県議会など22団体でつくる実行委が主催。実行委は10月15、16日にも上京し、福田康夫首相や渡海紀三朗文科相に決議を渡す。
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 登壇した高校生代表は「うそを真実と言わないでください。私たちは真実を学び、子供たちに伝えたい」と訴えた。
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実にしつこい。テレビニュースでは、管直人が張り切ってインタビューに答えていたから性質が悪い。

「日本軍の命令による集団自決の強制があった」ことと、「日本軍が集団自決に何らかの関係があった」ことは、全く違うのだ。



沖縄の集団自決に関しては秦郁彦が良いことを述べている。

秦郁彦は、南京問題と冨田メモに関しては悪質な反日捏造派だが、慰安婦問題と沖縄集団自決問題に関しては実に良い仕事をしている。
秦郁彦の功罪【◎慰安婦、●南京、●富田メモ】

秦郁彦は、4月14日付産経新聞の【正論】で素晴らしい寄稿をしたが、
許容する余地はない大江健三郎の人権侵害的記述・秦郁彦の稀に見る正論・沖縄戦の集団自決と大江氏裁判・両守備隊長の優れた人間性明らか
その後、7月6日の産経新聞【正論】欄でも再び沖縄集団自決問題に関す非常に良い寄稿をした。

4月14日の方は当ブログでも既に紹介したが、7月6日の方はまだ紹介していないので紹介しよう。


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【正論】現代史家 秦 郁彦 沖縄集団自決をめぐる理と情
2007/07/06, 産経新聞

 ■報道は冷静な検証の姿勢忘れずに

 ≪情緒過剰な記事が並ぶ≫

 6月23日は、62年前に沖縄本島南端の摩文仁(まぶに)の洞穴で、牛島軍司令官が自決、沖縄戦における日本軍の組織的抵抗が終わった日である。

 沖縄県は、この日を「慰霊の日」と定め、軍人・軍属、一般住民がそれぞれ9万余人、米兵をふくめると20万人の全戦没者を追悼する式典を挙行してきた。しかし今年は、住民の集団自決をめぐる高校用日本史教科書の検定で「軍命令による強制」が削除されたことについて、県議会が検定意見の撤回を求める意見書を採択したこともあり、騒然とした「慰霊の日」となった。

 ほぼ全面無視した読売新聞を除き、主要各紙は社説や社会面記事で大々的にこの問題をとりあげた。これまでは「沖縄の心」という目に見えぬ壁への配慮が働き、マスコミも識者もハレものにさわるような扱いをしてきたが、今年も同じトーンで生き残りの体験談を軸に情緒過剰な詠嘆調の記事が並んだ。今や生き残りといっても、当時は10歳前後だった人たちが主だから、要領をえないあやふやな証言ばかりになってしまった。

 たとえば、県の意見書のまとめ役になった当時8歳だった議員の体験談は「200人ほどの住民と壕に隠れていたところ、3人の日本兵が来て、泣き続けていた3歳の妹といとこに毒入りのおむすびを食べさせるよう迫った。敵に気づかれるのを恐れたため」(6月23日付朝日)というのだが、記者は不自然さに気づかなかったのだろうか。

 激戦のさなかに毒入りおむすびを作る余裕があるのか、毒と告げて親が食べさせるものか、食べたとしても、苦悶(くもん)の泣き声に変わるだけではないのか、そんなことをしなくても、200人も入っている広い洞穴なら奥へ移ればすむのではないか、と疑問の種はつきない。問題はそうした検証をいっさい放棄して、記事に仕立てた記者の資質にある。


 ≪攻撃用武器の手投げ弾≫

 ついでに記すと、県議会では「集団自決の軍命令はあったはず」と主張する野党と「なかったらしい」と主張する与党の議員が対立、妥協のすえ意見書は「日本軍による関与なしに起こり得なかった」という争点を外した表現におちついたとのこと。

 「関与」とは一部で日本軍の手投げ弾が自決用に使われたのを指しているらしいが、兵器不足に悩み、兵士に竹槍まで持たせていた日本軍にとって、手投げ弾は貴重な攻撃用武器だった。現地召集の防衛隊員(軍人)に持たせていたものが家族の自決に流用されたのに、16歳だった語り部の元短大学長が「手投げ弾は自決命令を現実化したものだ」と語るのを、朝日が社説(6月23日付)で「悲惨な証言」と信じ込み、引用しているのはいかがなものか。


 ≪軍命令見つからない理由≫

 さすがに社説ともなると冷静なタッチが多いなかで、朝日だけは突出した情緒論で終始している。他にも日本軍は住民が捕虜になることを許さず、「敵に投降するものはスパイとみなして射殺する」と警告し実行していったとか、捕らえられれば「女性は辱めを受け、男性は残忍な方法で殺される。日本軍はそう住民に信じ込ませた」と書いているが、いずれも事実無根に近い。

 牛島軍は、県当局と協議して住民を予想戦場から遠ざけるため本土や本島北部への疎開を命じ、戦闘末期には米軍の保護に委ねるふくみで戦場外の知念半島への避難を指示している。

 その結果、米軍記録によると28万余人の住民が投降した。そのなかには日本軍陣地へ投降勧告に出向く志願者がいて、スパイと疑われ処刑された例もあったが、例外的事件にすぎない。

 そのころ12歳の軍国少年だった筆者も「鬼畜米英」への憎しみと恐怖を抱いていた記憶はあるが、誰が吹きこんだのか覚えていない。親や先生ではなかったと思うし、ひょっとすると、わが家で取っていた朝日新聞か主婦の友かもと考えたりもするが、少なくともこの種の流言、浮説を記した政府・軍の公文書はなかったと思う。

 ところが、研究者でも集団自決や慰安婦の強制連行を証する軍命令が見つからないのは、終戦時に焼却したからだとか、個々の命令はなくても戦前期の天皇制や軍国主義教育に起因すると強弁する人が少なくない。

 集団自決が起きたのに「いまさら『日本軍は無関係』と言うのなら、それは沖縄をもう一度裏切ることになる」としめくくった朝日社説も同類項なのだろうか。
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渡嘉敷島集団自決の軍命令はウソ





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ミャンマーの少数民族の村が消滅・支那はミャンマーの資源確保と民主化ドミノ警戒のために制裁せず、福田・町村・高村ら日本の支那工作員たちにも経済制裁に踏み切らぬよう指示か・ビルマ(ミャンマー)の歴史


27日、ミャンマーのヤンゴン中心部で、路上に倒れ込む長井健司さん(左端)と、デモ取り締まりを続ける治安部隊(AFP=時事)


ミャンマーの少数民族の村が消滅 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070929-00000046-mai-int


<ミャンマー>少数民族の村消される 米衛星写真
9月29日13時46分配信 毎日新聞

 全米科学振興協会の科学・人権プログラムは28日、ミャンマー軍事政権による少数民族カレン族の迫害の様子を衛星写真で追った報告書を公表した。00年から今年にかけて撮影した衛星写真を比較し、同国東部のタイ国境に近いカイン州で、一般住民の家々と見られる構造物が完全に破壊されている様子などを明らかにした。
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少数民族を迫害し、村を消滅させてしまうというのは、まさに共産支那の典型的なやり方だ。

民主化を警戒し、ミャンマーの軍事政権を支援(支配)し続けているのは、まさに共産支那とミャンマーの支那人(華僑)だと言って良い。

福田首相、町村官房長官、高村外相らの支那工作員たちがなかなか制裁に動かないのは、支那から指示を受けているからだろう。

―――――
2007/09/26, 産経新聞
(一部抜粋)
日中友好議員連盟会長で、中国メディアから「著名な日中友好人士」と称される高村正彦氏が防衛相から外相に横滑りしたことについても「やりやすい」(同)との声が上がっている。
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ビルマ(ミャンマー)の歴史


19世紀末、イギリス・ビルマ戦争後、英国がビルマを植民地に。ビルマ王族をインドの果てに島流しにして、ビルマ国民の求心力を奪う

1937年、支那事変が始まると、英国はビルマ経由の「援蒋ルート」を通じて悪逆・暴虐の限りを尽くす支那軍に武器などを大量援助



1940年、ビルマを脱出したアウンサンら「30人志士」は、ビルマの「援蒋ルート」攻略のため、日本軍による軍事訓練を受ける

1941年、日本軍が英国の植民地だったビルマに進攻

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大東亜戦争の始まる一年程前に、ビルマには「ビルマ独立三十人の志士」と呼ばれる青年達が居た。リーダーはオンサン――軍事政権に反対して現在軟禁されているスーチーさんのお父さんだ。これらの青年連は何とか祖国を独立させたいと思って、英国官憲の目を盗んでビルマを脱出し、日本の庇護を求めて来たんだ。

そこで日本では鈴木敬司大佐を長とする「南機関」というのを作って、海南島という所で徹底した軍事訓練を施した。そして日本軍がビルマに進攻した時には、彼らはビルマ独立義勇軍というのを結成して一緒にビルマに入った。ビルマ人達は歓呼を以て日本軍とビルマ独立義勇軍を迎えたわけだ。

『大東亜戦争はまだ終わらない』あるビルマ従軍医の陣中記
桑木崇秀著
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1942年 3月、日本で軍事訓練を受けたアウン・サン率いるビルマ独立義勇軍と日本軍はラングーンを占領し、英軍を駆逐

1943年、日本の後押しでビルマが建国



1945年、アウン・サンらは大東亜戦争で敗色濃厚となった日本を裏切り、日本軍に対して蜂起。再び英国の統治下となった


1948年、戦後、アジア諸国が独立に動く中、再び英国から独立

1962年、独立義勇軍の一員だったネ・ウィン将軍が軍事クーデターで政権についたが、社会主義計画経済が行き詰まり、国民の不満が高まる

1964年、アウン・サンの一人娘アウン・サン・スー・チーがオックスフォード大学に留学



1972年、アウン・サンの娘スー・チーが、事もあろうに、英国人と結婚


1970年代、支那の共産ゲリラが侵入し、社会不安をあおりながら南下、ヤンゴンのすぐ北のペグーにまで侵出


1988年、学生や公務員を主体とする大規模な反政府デモが発生。ネ・ウィンは引退したが、軍がクーデターを起こし全権を掌握。デモに端を発した騒乱で多数の死傷者
8月、アウン・サン・スー・チーは母親の見舞いのために帰国し、民主化運動に参加
9月、スー・チーは国民民主連盟(NLD)を結成し、総書記に就任

スー・チーが20年以上も経ってビルマに戻ってきたとき、英国人の妻になって嫌みな英国人になりきっていたのでビルマ人達は戸惑ったといわれる。
「政治集会やデモの場合、どこの国もそうだが、ここも届け出制にしている。しかし、彼女は故意にそれを無視する。政府がたまりかねて規制すると『民主主義を弾圧した』と騒ぎ立てる」(山口洋一元ミャンマー大使)。


1989年、国名をビルマからミャンマー、首都名をラングーンからヤンゴンに変更
軍事政権は総選挙の実施を約束したものの、民主化勢力の国民民主連盟(NLD)を率いたアウン・サン・スー・チー書記長を拘束して自宅軟禁

1990年、NLDが圧勝した総選挙結果を軍事政権は無視


欧米がミャンマーに経済制裁を科し日本も欧米と行動を共にすると、日本から巨額のODA援助を受けていた支那がビルマに経済援助を開始し支那がミャンマーの軍事政権を支配





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ミャンマー、資源確保優先 民主化ドミノ警戒 制裁踏み切れぬ中国
2007/09/28, 産経新聞

 ミャンマー軍事政権による大規模デモ鎮圧を機に、軍政に最も影響力を持つとされる中国に対し、事態打開に向け影響力を行使するよう求める声が国際社会で強まっている。中国は、北京五輪を来年に控えて、民衆を弾圧する軍政を支持しているという国際的なイメージを持たれたくない一方で、ミャンマーのエネルギー確保といった資源戦略、そして安全保障戦略の観点から、現時点で制裁などの厳しい措置には踏み切れないのが実情だ。

 中国外務省の姜瑜報道官は27日の定例記者会見で、デモ隊への発砲を支持するか否かという質問に直接的な回答を避け、「国際社会はミャンマー情勢の緩和に建設的な助けとなるべきだ」「情勢を複雑にすべきでない。抑制した対応をすべきだ」と繰り返し、民生向上への協力を示唆した。さすがに「内政不干渉」という言葉は使わなかったものの、制裁に反対の立場を示したといえる。

 中国は1月、ミャンマーの人権状況に懸念を表明する国連安全保障理事会の決議案も拒否権を行使、葬り去っている。その直後、ミャンマーは中国側に1万平方キロに及ぶ天然ガス田の探査権を与え、ミャンマーと中国を結ぶ石油・天然ガスパイプラインの建設計画も加速した。中国への「見返り」とみられている。

 パイプラインには、不安定な要素が強いマラッカ海峡ルートへの依存度を下げる効果が期待されており、その意味でも関係強化は重要なのだ。

 中国国内的には、周辺国での「民主化ドミノ」が自国にも及ぶことへの警戒感がある。胡錦濤政権2期目となる重要な党大会を前にして、これまで以上に民主化言論への圧力を強め、「安定」を最優先させる姿勢だ。

 当地の消息筋は周辺諸国の政変をめぐる中国国内報道について、「規制されてきた」とし、同国内ではミャンマー報道にも一定の歯止めがかけられると予想されている。

 中国はミャンマーにとって、タイに次ぐ第2の貿易相手国であり、主な兵器供給源でもある。

 軍事研究者によると、中国は過去10年間で、ミャンマーに対し旧式のミグ系戦闘機六十数機、空対空ミサイル約300基、小型艦艇約10隻など、約6億2000万ドル分以上の兵器を供与してきた。

 だが、供与は減少傾向にあり、逆に、2000年代からインドが経済、軍事的に対ミャンマー関係の強化を進めており、「対ミャンマー制裁は同国のインド傾斜を強める結果は必至」(政府筋)と中国は警戒している。
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がんばれ!平沼赳夫・平沼氏が造反組18人に資金援助…落選者に月100万円・腐り切っている自民党になど復党する価値なし!「維新政党・新風」に鞍替えするか平沼新党を立ち上げてくれ!


がんばれ!平沼赳夫

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070929-00000001-yom-soci


平沼氏、造反組18人に資金援助…落選者に月100万円
9月29日9時20分配信 読売新聞

 郵政民営化に反対し自民党を離党した平沼赳夫・元経済産業相が06年に、少なくとも18人の造反組議員に資金援助をしていたことがわかった。

 平沼氏の復党をめぐっては、05年衆院選の落選者の復党に道を開きかねないとして、自民党内に慎重な対応を求める声がある。平沼氏が派閥の領袖(りょうしゅう)並みかそれ以上に造反組議員を資金援助していたことは、今後の平沼氏の復党論議に影響を与える可能性もある。

 平沼氏の資金管理団体の06年収入は3億1180万円で、全国会議員(政党支部の収入分も含む)中3位。資金力を生かして、特に「落選組」を手厚く支援した。

 静岡7区で落選した城内実氏の資金管理団体には、毎月100万円ずつ、計1200万円を寄付した。今年7月の参院選で国会に返り咲いた衛藤晟一氏については、毎月30万円の寄付に加え、パーティー券計130万円分を購入している。同様にカムバックした川上義博氏の資金管理団体にも1010万円を寄付した。
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平沼赳夫は、立派な政治家だ。

今や多数の支那工作員や支那ポチが蔓延り、その代表格である福田康夫が総裁となった自民党なんぞに復党するべきではない。

平沼赳夫の復党に反対する自民党の連中は、日本のことなど何も考えていないアホばかりで、小泉チルドレンなどはゴミ屑同然だ。


平沼氏の政策は、どう見ても、「維新政党・新風」に近く、自民党とは離れている。

平沼赳夫が「維新政党・新風」の人になってくれれば最高なのだが、それが不可能なら平沼新党を創ってほしい。

それが、やがては政界再編の起爆剤となるかもしれない。






平沼赳夫とは


拉致議連(北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟)会長

真の人権擁護を考える懇談会(人権擁護法案に反対)会長

8月15日の靖国神社参拝に賛成。安倍内閣に対して参拝を強く求めていた。

皇位継承問題では女系天皇を容認する皇室典範改正に反対していて、その会長も務めている。皇室への尊崇の念はとりわけ強いもので、本来反天皇論者の言葉であるとして天皇制という言葉は口にせず、必ず「御皇室」という言葉を口にする。




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平沼氏ら超党派議連発足
「中国の反日写真撤去求める」
2007年6月13日、産経新聞

 中国各地の抗日記念館に展示されている反日写真の撤去を求める超党派の議員連盟が13日午前、発足した。会長には自民党を離党した平沼赳夫元経済産業相が就任した。

 議連は「中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会」で、自民、国民新両党と無所属の国会議員計42人が所属。中国の愛国運動の拠点ともいえる抗日記念館の展示内容を精査し、事実誤認とみられる写真などを速やかに撤去することを求めていく。年内に中国・南京にある「南京大虐殺記念館」の視察も検討している。

 平沼氏はあいさつで「たくさんの抗日記念館で反日教育が行われ、間違った歴史観を植え付けることを許すことはできない」と述べた。
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慰安婦決議に「憂慮」 平沼氏ら有志議員 米との共同研究提案 米下院外交委が従軍慰安婦問題で謝罪決議案可決 米国 アメリカ
2007/06/28, 熊本日日新聞

 平沼赳夫元経済産業相(無所属)と自民、民主両党の有志議員らは二十七日、国会内で記者会見し、米下院外交委員会の従軍慰安婦決議案可決について「事実に基づかない対日非難決議は、日米両国に重大な亀裂を生じさせ、両国の未来に暗い影を落とす」と憂慮する声明文を発表した。
 声明文では「事実に基づく自由主義的な歴史研究を行い、未来に向けた歴史認識を持つことが必要」と指摘。(1)日米両国での慰安婦問題に関する共同歴史研究(2)決議案の根拠となった一九九三年の河野洋平官房長官談話の検証―を提案した。今後、政府に米国の有力シンクタンクとの共同研究などの対応を求めていく考えだ。
 記者会見には自民党の島村宜伸元農相、民主党の松原仁衆院議員らが同席。平沼氏らは十四日付の米紙に掲載された「従軍慰安婦として強制的に動員した事実はなかった」との意見広告の賛同者。この日の会見に同席しなかった賛同者約四十人も声明文に同調した。
 平沼氏は、意見広告が決議案の採択につながったとの見方を否定した上で「間違った河野談話を徹底的に検証し、米国議員に真実を伝えることが大事だ」と強調。島村氏は政府の対応に関し「静観してていいのか。反論しないのは理解できない」と批判した。
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衆議院議員 平沼赳夫氏 に聞く
2007年09月10日号、慶應義塾大学公認独立団体 慶應キャンパス新聞会

(一部抜粋)

今の日本国憲法というのは、占領軍が占領政策を円滑に進めるために米国が押し付けた憲法です。ですから、日本が独立を回復した以上、日本人の時代に合った憲法を作ることが、法治国家の始まりではないかと思っています。したがって、私は憲法の改正とは言わず、自主憲法の制定と言っているのです。

・・・・・

外交ですが、今の日本は自国の安全と平和を日米安全保障条約でアメリカに任せきりになっています。隣国の中国は二〇〇八年の北京オリンピックと二〇一〇年の上海万博の開催に日本の協力が必要なため、今のところは微笑外交をしています。しかし、私はこの二つが終わったら中国は豹変すると思っています。現実に、中国の国防費は毎年一〇%以上増えており、七百機の核爆弾を搭載できるミサイルが台湾海峡をにらんで配備され、日本も射程距離に入っています。それに対して、日本はのん気すぎるのです。

・・・・・

日本も核を持とうと思えば持てる、というメッセージを日本側からも発してもいいと思います。核武装の議論はすべき、との中川昭一政調会長の主張に安倍首相も了解しましたが、いつの間にか核議論もなくなってしまいました。
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腐り切っている自民党になど復党する価値なし!

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ミャンマーで日本人ジャーナリストの長井健司さんが死亡・支那が支援(支配)する軍事政権は更に強硬姿勢も・複数の僧院を急襲し、大量の僧侶を拘束、暴行、殺害するのは、支那のなせる業


ミャンマー


ミャンマーで邦人ジャーナリスト・長井健司さんが死亡
9月27日23時30分配信 読売新聞

 外務省に27日午後7時過ぎに入った連絡によると、ミャンマーのヤンゴンで日本の旅券を持った男性の遺体が見つかった。

 同省によると、この男性は、反政府デモを取材していた日本人ジャーナリストの長井健司さん(50)で、現地の日本大使館員が遺体が安置されている病院に出向いて身元を確認した。

 長井さんは、ニュースプロダクション「APF通信社」の契約記者。(以下略)
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日本人が死亡した。


ミャンマーがいつまで経っても民主化できずに、軍事政権のままでいるのは、共産支那と現地の支那人(華僑)のせいだ。

支那は、スーダンの大虐殺政府を支援(支配)しているように、ミャンマーにおいても軍事政権を支援(支配)している。

複数の僧院を急襲し、大量の僧侶を拘束、暴行、殺害するなどは、まさに支那人のなせる業だ。


大体、支那では、暴動が日常茶飯事のように起こり、その都度、武装警察が住民を虐殺している。

そんな支那が、ミャンマーに抑制を呼びかけてるなんて笑ってしまう。





まずは、ミャンマーの歴史のおさらい

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大東亜戦争の始まる一年程前に、ビルマには「ビルマ独立三十人の志士」と呼ばれる青年達が居た。リーダーはオンサン――軍事政権に反対して現在軟禁されているスーチーさんのお父さんだ。これらの青年連は何とか祖国を独立させたいと思って、英国官憲の目を盗んでビルマを脱出し、日本の庇護を求めて来たんだ。

そこで日本では鈴木敬司大佐を長とする「南機関」というのを作って、海南島という所で徹底した軍事訓練を施した。そして日本軍がビルマに進攻した時には、彼らはビルマ独立義勇軍というのを結成して一緒にビルマに入った。ビルマ人達は歓呼を以て日本軍とビルマ独立義勇軍を迎えたわけだ。

『大東亜戦争はまだ終わらない』あるビルマ従軍医の陣中記
桑木崇秀著
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ビルマは1943年8月1日に独立した。

それ以来、ビルマ(ミャンマー)は親日国家だった。



ところが、1990年代になると、ミャンマーは支那に支配されるようになり、反日化していった。

ミャンマーの歴史教科書も、支那の教科書のように酷い反日捏造教科書となった。



なぜ、ミャンマーが支那に支配され、反日化してしまったのか?


原因は日本の対支ODAだった。

支那は、ミャンマーの支那人(華僑)と日本からのODAとを使ってミャンマーの支配を強めていったのだ。


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【高山正之の異見自在】ミャンマーの悲劇 どこかの国が「いい子」のせいで…2001/01/20, 産経新聞

(抜粋)

 英国に次いでビルマの人々は中国を嫌う。中国人は植民地時代に入り込み、英国人のよき手先となってビルマ人を搾取した。英国人が引き揚げたあとも彼らは居座って経済実権を握り続けた。
 ネ・ウィンが鎖国政策をとったのも、ビルマ経済を停滞させて商売のうまみを消し、彼らが愛想を尽かして出ていくのを待つ、という意味があった。
 だから生活は貧しく不便だったが、国民は我慢した。それが自分の国を取り戻すためだと知っていたし、同じような状況のベトナムが華僑追放という強制手段を選んで、戦争(中越紛争)に巻き込まれたのよりは、ましな方法だと認識していたからだ。

 しかし、中国人はビルマ乗っ取りにもう一つ、手段を講じた。共産ゲリラの侵入だ。彼らは社会不安をあおりながら南下し、七〇年代にはヤンゴンのすぐ北のペグーにまで進出した。
 これを掃討したのが今の政権を担当するタンシュエである。
 中国人といえば、タイの華僑もしたたかだ。モン、カチンなど山岳民族をけしかけてビルマ人政府と対立させ、武器弾薬を売ってはチーク材を手に入れていた。「中国」というだけでビルマ人は顔をしかめたものである。

 ところが九七年に当時のD・エーブル計画経済相に会ったとき、側近から「中国の批判は避けてほしい」といわれた。
 スー・チー問題を口実に欧米がミャンマーに経済制裁を科し、日本が右にならえをしていたころである。この国の経済はそれでほぼ破綻しようとしていた。
 その窮状に援助の手を差し伸べたのがほかならない中国だった。
 “英国人スー・チー”に屈するのか、嫌いな中国の援助を受けるのか、究極の選択を強いられたビルマ人は結局、中国を選んだ。
 今、ヤンゴンの表玄関、イラワジ川にかかる鉄橋が中国の支援で建造された。
 ネ・ウィンと国民が死ぬ思いで耐え、そして出ていってもらった中国人がそれを渡ってわんさと戻ってきた。王都マンダレーの街中には漢字の広告が大威張りで立ち並んだ。中国の経済植民地化にもがくミャンマーの姿である。
 だから、中国の批判をこっちが言えば、政府首脳は何とも答えられない。「その辺のところを察してほしい」というわけだ。

 そのミャンマーに、もっと苦しいはずのユーゴが三千万ドルもの経済援助を約束した。
 妙な話には裏があって「実は日本から巨額のODAを引き出している中国が背景にいて」(本紙バンコク特派員電)、ユーゴを迂回して援助しているという。中国政府は強い調子でこの説を否定するが、日本のカネが回り回ってミャンマーのクビを締め上げているのは間違いない。
 腹に一物も二物もある国々の言いなりになっていれば、日本はいい子でいられる。でも、そのおかげでどこかの国が今、植民地になろうとしている。
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福田内閣支持率57・5%??・福田を自民党総裁にするために世論操作をした読売新聞の福田内閣支持率世論調査なんて信用できるわけがない・読売と共謀した日テレもW杯ラグビーで大失態


福田を総裁にするために世論操作をした読売新聞の福田内閣支持率世論調査



福田内閣支持率57・5%、発足直後で4位…読売世論調査
9月26日21時38分配信 読売新聞

 福田内閣の発足を受け、読売新聞社は25日夜から26日にかけて、緊急全国世論調査(電話方式)を実施した。

 新内閣の支持率は57・5%で、不支持率は27・3%だった。支持理由では「安定感」を挙げる人が最も多かった。

 新内閣が当面する最大の課題となるインド洋での海上自衛隊の給油活動継続については、「賛成」が47%で、「反対」の40%を上回った。調査で浮かび上がった民意は、民主党が参院第1党となった「ねじれ国会」での与野党攻防に影響を与えそうだ。

 福田内閣の支持率は、発足直後の調査(大平内閣以降)では、小泉内閣の87・1%(電話方式)、細川内閣の71・9%(面接方式)、安倍内閣の70・3%(電話方式)に次いで4番目の高さとなった。










上の読売世論調査は、おそらく、殆どが26日の昼間に電話をかけて老人を中心に調査したのだろう。

福田を自民党総裁にするために世論操作をした読売新聞の福田内閣支持率世論調査なんて信用できるわけがない!

日本の場合には、他のマスコミも殆どが支那に支配されているから似たようなものだが・・・



麻生太郎がごく一部の人間にだけ人気があるかのような報道をする捏造テレビ局






動画は、1つずつ観て下さい


2つ同時に見ようとすると画面が固まったりします。




真実は、↓ ↓ ↓

Yes !麻生 -「民の声」






日本テレビといえば、昨晩のW杯ラグビーの中継は酷かった。

私は高校時代ラグビー部だったこともあり、昨晩は熱い想いでテレビ観戦していた。
(「B78星雲」の東京ベンズさんは元日本代表)

ところが、何と日本テレビは、ロスタイムに日本が奪った劇的トライを放送しなかった。



日本が12対5で負けたままロスタイムに突入、すると、突然シーンが途切れたのでノーサイド(試合終了)で敗戦と思いきや、次のシーンで日本のゴールキックが決まって何故かいきなり12対12となってからノーサイドとなった。

何のことやら良く理解できなかったが、とにかく日本はノーサイド寸前に同点に追い付いたようだった。

だとすると、ゴールキック前のトライは、何時、誰が、どんなふうに???

今日、ネットで記事を見て全てを知ったが、支那の宣伝工作テレビ局に成り下がった日テレらしい大失態だ。





W杯ラグビーで日テレに抗議1000件=日本のトライ放送せず
9月26日19時37分配信 時事通信

 ラグビーのワールドカップ(W杯)日本-カナダ戦(日本時間26日未明)で、試合を中継した日本テレビが日本の終盤のトライを飛ばして放送し、視聴者から多数の抗議が寄せられた。同日夕方5時までに電話、メールで約1000件が寄せられ、同局は「失礼な放送をして視聴者の皆さまに申し訳ない」としている。
 試合はカナダが12―5とリードしてロスタイムに突入。終了直前に平(サントリー)のトライと大西(ヤマハ)のゴールで日本は劇的な引き分けに持ち込んだ。しかし、中継ではいきなり大西のゴールのシーンとなり、試合後にトライシーンを申し訳程度に流した。
 同局は、約10分遅れの録画で試合を中継したが、ロスタイムが長引いたため放送枠に収まり切らなかったという。 





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